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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)6122号 判決 1977年11月29日

原告

大竹藤四郎

被告

堀江丞一

ほか一名

主文

被告堀江丞一は、原告に対し、金一四一万五、〇〇六円及びこれに対する昭和四八年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告堀江製作所こと堀江四郎に対する請求及び被告堀江丞一に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告堀江丞一との間に生じたものは、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告堀江丞一の負担とし、原告と被告堀江製作所こと堀江四郎との間に生じたものは、原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、「被告両名は、各自、原告に対し、金五五〇万二、六六二円及びこれに対する昭和四八年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告両名の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告両名訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決並びに原告勝訴の場合につき、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二請求の原因等

原告訴訟代理人は、本訴請求の原因等として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

原告は、昭和四六年一二月一九日午後九時三〇分頃、東京都葛飾区立石七丁目一二番七号先路上において、葛飾公会堂前交差点(以下「本件交差点」という。)の横断歩道上を青信号に従つて横断中、右折してきた被告堀江丞一(以下「被告丞一」という。)運転の普通乗用自動車(登録番号足立五五に九一〇四号)(以下「加害車両」という。)にはねとばされ、入院六か月、通院一三か月を要する傷害を受けた。

なお、原告は、本件事故以前、日暮里駅構内での転落事故で、大腿骨骨折等の傷害を負つたが、右傷害は昭和四五年末頃全治していたのであるから、右入・通院は本件交通事故によるものである。

二  責任原因

1  被告丞一は、自動車運転者として、前方を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべきはもとより、横断歩道を青信号に従つて横断中の歩行者があるときは、横断歩道の手前において一時停止して歩行者の安全な横断を妨げないようにする義務があるにかかわらず、これを怠り、前方注視を欠き、横断歩道手前で一時停止しなかつた過失により、本件事故を惹き起こしたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づき、原告が被つた損害を賠償すべき責任がある。

2  被告堀江製作所こと堀江四郎(以下「被告四郎」という。)は、加害車両を自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定に基づき、原告が本件事故により被つた損害を賠償すべき責任がある。

三  損害

原告が本件事故により被つた損害は、次のとおりである。

1  治療費 金二三万四、一一二円

(一) 厚生年金湯河原整形外科病院分 金五万九、一三三円

昭和四七年五月二日から同年七月二七日までの八六日間の入院治療費である。

(二) 母畑元湯温泉治療分 金一二万七、七一〇円

母畑元湯温泉宿泊費金九万八、四一〇円(ただし、昭和四七年八月二七日から同年九月一〇日まで、同年一〇月二九日から同年一一月六日まで、同年一一月一五日から同年一二月一日まで及び翌四八年二月九日から同月一七日までの合計四八日分である。)及びマツサージ料金二万九、三〇〇円である。

(三) 鹿教湯温泉療養所分 金四万七、二六九円

鹿教湯温泉療養所室料等として金三万五、五九六円、同所やまや旅館宿泊費として金一万一、六七三円の出費合計で、期間は昭和四八年一二月六日から翌四九年三月九日までの六八日間である。

2  付添費及び雑費 金一〇万八、五五〇円

原告が厚生年金湯河原整形外科病院、母畑元湯温泉及び鹿教湯温泉療養所において治療するに際し(通算三〇二日間)、身体不自由のため原告の妻がそのうち一六日間付き添つたが、右付添費用としては、一日金一、五〇〇円が相当であるから、原告は付添費用として金二万四、〇〇〇円の損害を被つたものであり、また、入・通院中の雑費、交通費として金八万四、五五〇円の支出を余儀なくされ、同額の損害を被つた。

3  休業損害 金二六六万円

原告は、本件事故当時、自宅で大竹洋裁工場を経営し、主としてオンワード樫山株式会社等の既製服の仕立等をして月収金一四万円の収入を得ていたが、本件事故以来昭和四八年七月末日までの一九か月間右仕事を行うことができず、合計金二六六万円の休業損害を被つた。

4  慰藉料 金二〇〇万円

原告は、本件事故により、入院六か月、通院一三か月に及ぶ傷害を受け、現在なお通院し、将来相当重い後遺症が予想される重大な損害を被つたが、その苦痛を慰藉するには、金二〇〇万円が相当である。

5  弁護士費用 金五〇万円

原告は、被告両名が任意弁済に応じないのでやむなく、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起、追行を委任し、その費用として金五〇万円の支払を約した。

四  よつて、原告は、被告両名に対し、各自、金五五〇万二、六六二円及びこれに対する本件事故発生の日の後の日である昭和四八年九月一六日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五  被告の主張に対する答弁

被告両名の弁済等の主張事実は、認める。

第三被告両名の答弁等

被告両名訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁等として、次のとおり述べた。

一  請求原因第一項の事実中、原告が本件事故時はねとばされたとの点は否認し、原告の受傷の程度は争うが、その余の事実は、認める。本件事故による原告の傷害の程度は、頭部挫創挫傷、右肘部前腕挫傷、腰部挫傷等でいずれも軽微なもので、せいぜい数週間で治癒するものであつた。治療が長びいたのは、原告が昭和四三年六月頃、日暮里駅で階段から転落し、右大腿頸部骨折等の重傷を負い、右足は五・五センチメートル短縮し、本件事故当時、既に著しい歩行困難及び腰痛等の後遺症があつたためと原告が六八歳の高齢であるうえに慢性胃炎、高血圧症、糖尿病、動脈硬化症兼心肥大等の持病を有している病弱の身であつたためであつて、原告の入・通院の大半は本件事故とは相当因果関係がない。

二  同第二項中1の事実は争い、2の事実は否認する。加害車両は、被告丞一の所有であり、専ら同人のために用いられていたものである。

三  同第三項1の事実は、知らない。同項2の事実中、原告の妻が付き添つたこと及び日数は不知、その余の事実は争う。同項3の事実中、原告が本件事故により一九か月休業を余儀なくされたことは否認し、その余の事実は知らない。仮に、原告が洋裁工場を営んでいたとしても、原告は事業のために職人二名を雇つており、原告の年齢を考えれば、実質的には職人が仕事をしていたのであるから、本件事故により休業しなければならないことはない。原告が休業したとすれば、職人との不和か原告自身の老齢と持病によるものである。同項4の事実中、原告には将来相当重い後遺症が予想されるとの点は否認し、その余の事実は争い、同項5の事実は、争う。

四  同第四項は争う。

五  弁済等

被告丞一は、次のとおりの金員を原告に支払い、調停不調後、休業補償費等として金一〇九万三、二二〇円を供託し、右供託金は原告が受領したほか、原告は、自動車損害賠償責任保険(以下「責任保険」という。)から後遺症分として金五二万円を受領した。

(一)  治療関係費 金四〇万二、四三〇円

内金一二万三、九一〇円は、昭和四六年一二月一九日から翌四七年一月一〇日までの井上病院の入院費、内金二七万六、五二〇円は、昭和四七年一月一一日から同年一一月一三日までの同病院の入院五六日、通院三二日分の費用、内金二、〇〇〇円は、厚生年金湯河原整形外科病院分の費用である。

(二)  看護費 金一六万八、七〇〇円

井上病院で要したものである。

(三)  その他(慰藉料等) 金三五万円

第四証拠関係〔略〕

理由

(事故の発生と責任原因)

一  請求の原因第一項の事実は、原告が本件事故時はねとばされたとの点と原告の受傷の程度を除き、当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一五号証ないし第一七号証、第二〇、第二一号証、第二四、第二八号証及び本件事故現場付近の写真であることに争いのない甲第一八号証並びに原告(第一回)及び被告丞一本人尋問の各結果を総合すると、本件事故現場は、南北に通じる全幅員一一・九メートル(車道幅員八・九メートル)の直線道路(以下「本件道路」という。)と東西に通じる全幅員一一・五メートル(車道幅員八・五メートル)の直線道路(以下「交差道路」という。)がほぼ直角に交差し(両道路とも、センターラインにより片側一車線に区分され、アスフアルト舗装された平坦な道路となつている。)、各出口に横断歩道が設置され、信号機により交通整理が行われている本件交差点の南側の横断歩道上であり、付近は街路灯の照明で夜間も明るかつたこと、及び被告丞一は、加害車両を運転して本件交差点を交差道路西方から本件道路南方に右折するに際し、まず交差点中央部手前まで進んで、一たん対向車を通過させるため停車した後、対向車や本件道路南方の葛飾公会堂付近の人だかりに気をとられて前方注視を怠つたまま、六、七メートル右折進行したため折柄、青信号に従つて本件交差点南側の横断歩道上を東方から西方に向け杖をつきながらゆつくり歩いていた原告を数メートル先に発見し、あわててブレーキをかけたが間に合わず、横断歩道中央付近において、自車中央部を原告の右膝部付近に衝突させて同人をその場に転倒させ、直ちに停車したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。右認定の事実によれば、被告丞一には前方を注視し、進路の安全を確認しつつ進行し、責信号に従つて横断歩道を歩行中の者があれば一時停止して、その安全な通行を妨げてはならない注意義務があるにかかわらず、それを怠つて本件事故を起こした過失があるものというべきであるから、民法第七〇九条の規定に基づき、原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。

次に、被告四郎の責任についてみるに、前顕甲第二〇、第二一号証、成立に争いのない甲第二二、第二三号証、被告丞一本人尋問の結果を総合すると、被告丞一は、本件事故当時、二八歳で父被告四郎の営む金属加工の町工場(従業員は臨時を含めて六名)の手伝いをし、月決めの給料の支給を受けていたものであり、被告四郎の住居兼工場から約三キロメートル離れたアパートに妻子と居を構え、世帯を異にしていたこと、加害車両は、被告丞一がその負担において同被告名義で月賦で購入したもので、車のガソリンは他の従業員と同様に被告四郎の町工場のチケツトで給油するものの月給で一括清算していたこと、加害車両の利用状況は、被告四郎の工場には専用のトラツク、ライトバンが各一台あり、それを材料の鉄板や製品の運搬に使用しているので、ほとんど被告丞一の工場への通勤と私用(本件事故も私用時に惹起されたものである。)のためで、まれに、従業員が一時借りたり、被告丞一が私用のついでに得意先にいつたりする程度であり、被告丞一のアパートの駐車場に保管されていたこと、以上の各事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は、上掲各証拠に照らし、措信し難く、その他前段認定を覆すに足る証拠はない。右事実によれば、被告四郎と被告丞一は親子ではあるが、世帯を別にしており、加害車両は被告丞一が購入、維持に当たつており、被告四郎の工場のために利用されていたものではないのであるから、被告四郎は、加害車両の運行についての利益及び支配を有しなかつたものというべきである。してみれば、原告の被告四郎に対する請求は理由がないものというほかない。

(損害)

二 よつて、以下原告の被つた損害につき、判断する。

1  まず、原告の傷害の程度を審究するに、原告が、昭和四三年六月頃、日暮里駅で転落自損事故を起こし、右大腿骨骨折等の傷害を負つたことは当事者間に争いがないところ、右事実に前顕甲第二二、第二三号証、成立に争いのない甲第二号証、第一〇、第一一号証、第一三号証、第一九号証、乙第二号証の一ないし三、第四号証ないし第六号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙第三号証及び原告本人尋問の結果(第一、第二回。後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、原告は、日暮里駅での事故のため、昭和四三年六月から翌四四年六月頃まで、弘中外科病院、芦沢整形外科医院、東邦大学医学部付属大森病院において、各入院加療後、芦沢整形外科医院に通院し、昭和四五年一二月一九日、ようやく治癒(症状固定)したが、右事故により、歩行時の疼痛はないものの右下肢の短縮(五・五センチメートル)、跛行、右大腿骨骨頭部の変形、右股関節、右膝関節の拘縮(右股関節の膝屈曲位での屈曲一五〇度・右膝関節屈曲一二〇度)、右足部の変形(右第Ⅴ指中足指節間関節屈位背屈不能、第Ⅰないし第Ⅳ指背屈不能)の後遺障害が残り、時折杖を用いて歩行するに至つたこと、原告は以来約一年間自営洋裁業に従事していたが、本件事故により右膝部付近を加害車両に衝突、転倒させられたため、前の大腿骨骨折部位にX線上の変化はなかつたが、後頭部挫創挫傷、右肘部前腕挫傷、腰部挫傷、両膝部挫傷兼右下腿骨骨頭皹裂骨折の各傷害を受けたこと、そのうち、外傷は、外形的には、後頭部挫創挫傷が一針縫合して一週間から一〇日間で、右肘部前腕挫傷、両膝部挫傷がほぼ二、三週間で、右下腿骨骨頭皹裂骨折が昭和四七年二月一五日頃までにはほぼ治癒の状態(同年一〇月一九日には既に完治)に至つたものの、膝、腰部の疼痛は、その部位が前の事故による後遺症があり、かなり無理をしていた部分と重なつたため、疼痛が激しく下肢の運動も思うにまかせなくなり、その軽快は原告の年齢的(本件事故時六七歳)な要素も加わつて大幅に遅れ、結局、井上外科病院に昭和四六年一二月一九日から翌四七年三月八日まで、厚生年金湯河原整形外科病院に同年五月二日から同年七月二七日まで入院したほか、井上外科病院に継続して通院し、超短波治療等を受けたこと、しかして、原告が井上外科病院等の治癒認定を受けたのは、昭和四八年一〇月一九日頃であつて、後遺症として、右上肢のしびれ、脱力感並びに右膝部、右腰部(股関節部)及び右趾部の疼痛が残遺したが、各関節の可動域は前回事故による障害程度と大差ないことの各事実が認めれ、右認定に反する原告本人(第一、第二回)の供述部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。なお、付言するに、前示の証拠によれば、原告には、芦沢整形外科医院で治療を受けていた頃から、既に高血圧症、糖尿病、動脈硬化性心肥大、慢性胃炎の持病があり、その治療をも受けていたことを認めることができ、右の持病が原告の健康を阻害していたことはもちろんであるが、本件事故後右持病のみのため入・通院をしたものではなく、それが膝、腰部の疼痛の軽快を妨げたことを認むべき証拠はない。また、前回事故による後遺症についても、その存在が本件事故による長期の入・通院及び後遺症の一因をなしたことは右認定のとおりであるが、前記認定の事故状況等に照らすと、本件事故による原告の身体に対する衝撃は強度であつて、原告が本件事故に遭遇しない限り、本件事故による長期の入・通院及び後遺症を余儀なくされることはなかつたものというべく、したがつて、前記認定の本件事故に伴う入・通院及び後遺症は、本件事故と相当因果関係にあるものというべきである。

2  治療費

(一)  厚生年金湯河原整形外科病院支払分

上記認定の事実に成立に争いのない甲第五号証の一ないし九及び原告本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、原告は、昭和四七年五月二日から同年七月二二日まで厚生年金湯河原整形外科病院に入院してリハビリテーシヨンを受け、その費用(国民健康保険の本人負担分)として金五万九、一三三円の支払をしていることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  母畑元湯温泉及び鹿教湯温泉療養分

前顕甲第二二、第二三号証、原告本人尋問(第一回)の結果により成立の認められる甲第六号証の七ないし一〇、第七号証の一ない五、第八号証の一ないし一〇、第九号証の一ないし三、同本人尋問(第一、第二回。後記措信しない部分を除く。)の結果を総合すれば、原告がその主張どおりの期間(母畑元湯温泉については、その他に昭和四八年六月中旬ないし下旬の間)母畑元湯温泉、鹿教湯温泉に湯治にいき、母畑元湯では宿泊費金九万九、六一〇円、マツサージ代金二万九、三〇〇円、鹿教湯温泉では旅館代金一万五、〇〇九円、同療養所室料等金一万七、三五〇円を支払つたが、右各湯治は、医師が治療の必要を認めて特に指示したものではなく、原告の希望で転地療養に出かけたものであつて、特に鹿教湯温泉については持病の高血圧の治療を主目的としていたことが認められ、右認定に反する原告本人の供述部分(第一、第二回)は直ちに採用し難く、本件全証拠によるも右湯治が原告の治療上有益であつたと認めるに足りる証拠もないこと、並びに前記認定の原告の本件事故による傷害の程度等を併せ考えると、右各湯治費用は本件事故と相当因果関係ある損害とは認めえない。

3  付添費

原告本人尋問(第二回)の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告が厚生年金湯河原整形外科病院に入院中原告の妻が月に四回位同病院に赴いたことを認めうるけれども、原告の付添のために赴いたものと認めることはできず、それに要した費用は、後記の雑費に含めて考慮すれば足りるものというべく、また、前顕甲第六号証の八ないし一〇及び原告本人尋問(第二回)の結果によれば、原告の妻が母畑元湯温泉及び鹿教湯温泉療養所における原告の湯治に付き添つたことがあることは認められるが、前記説示のとおり右各湯治自体が本件事故による損害と認められない以上、右付添費用をもつて、本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

4  雑費

原告本人尋問(第一回)の結果により成立の認められる甲第一二号証の一ないし七、九ないし二二、同本人尋問の結果及び前記認定の入院の事実によれば、原告は、東京都葛飾区立石所在の井上外科病院に八一日間、神奈川県湯河原町所在の厚生年金湯河原整形外科病院に八七日間各入院し、栄養補給費等の雑費を支出したことが認められ、右入院期間、症状等に照らすと、右合計一六八日間一日当り少なくとも金四〇〇円の割合で合計金六万七、二〇〇円の支出を要したものと推認することができる。なお、井上外科病院への通院雑費については、同病院の所在地及び原告の住所地間の距離及び原告の負傷状況に徴すれば、当初、何らかの交通費を要したものと推認しえ、また、厚生年金湯河原整形外科病院への入・退院交通費を要したことも容易に推認しうるところであるが、いずれもその具体額を確定しうるに足る証拠はなく、これらは慰藉料算定に当たり、斟酌するにとどめる。

5  休業損害

原告本人尋問(第一回)の結果により成立の認められる甲第三号証、第四号証の一ないし七〇及び同本人尋問(第一、第二回)の結果(後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、原告は、五〇年来洋服仕立業に従事しており、日暮里駅の事故以前から自宅でミシン三台をおいて大竹工場の名称で見習の住込職人二人(共に女性の聾唖者)と共に委託縫製に従事し、右事故後も原告の入・通院中職人二人で細細と営業を続けていたこと、原告の工場での作業内容は服地の裁断が二割、縫製が八割の割合であるところ、原告は、前回受傷後、裁断はできなくなつたものの、ミシン縫製は可能でありこれに従事していたこと、原告の前の事故での治癒から本件事故により受傷するまでの昭和四六年の一年間に注文先に納品した分の作業報酬は、オンワード樫山分金二二八万六、四七〇円、シヤインモード分金一五万五、六〇〇円、東急やまと分金七万一、三〇〇円、東京メモリアル分金九万七〇〇円、石山洋服店分金三七万一、〇〇〇円の合計金二九七万五、〇七〇円であり、右収益をあげるための必要経費は年額金一二九万六、〇〇〇円であつたから、年収金一六七万九、〇七〇円を得ていたこと、原告は、本件事故以来ほとんど仕事をしていなかつたが、昭和四七年六月には原告の工場にいた二人の職人がほぼ一人前になり、結婚を理由に辞めたため、工場は全面休業の状態になつたこと、もつとも、昭和四九年八月頃から一年あまりの間職人一人を雇い入れ、営業を再開したこともあること、以上の各事実が認められ、右認定に反する原告本人(第一回)の供述部分は採用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。しかして、右認定の事実に前記認定の原告の受傷の程度についての事実を総合すれば、原告は、本件事故により、従前(前回事故後の)の稼得能力を、本件事故当日から厚生年金湯河原整形外科病院を退院した昭和四七年七月末までの間一〇〇パーセント、昭和四七年八月以降昭和四八年七月末までの間五〇パーセント喪失したものと推認するを相当とし、原告の前記年収に対する寄与割合は、その営業内容及び営業規模、被用職人数及びその構成、原告の経験、可能な作業内容及び身体的制約等を考慮すれば六割とみるのが相当であるから、以上を基礎として、右の間の原告の得べかりし利益を算出すると、金一一二万三、八九三円となる。

6  慰藉料

前記認定の事故の状況、原告の受傷による入・通院の期間後遺症の程度等諸般の事情を考慮すると、原告が本件事故により多大の精神的・肉体的苦痛を被つたことは明らかであり、これを慰藉するには、金二〇〇万円が相当である。

(損害のてん補)

三 被告丞一が原告に対し、金三五万二、〇〇〇円(井上病院における入・通院治療費及び付添看護料については、原告の本訴請求外の損害に関するものであるから除く。)を支払い、また、休業補償費として金一〇九万三、二二〇円を供託し、原告が右金員を受領していること、及び原告が責任保険から後遺障害による損害分として金五二万円を受領していることは当事者間に争いなく、弁論の全趣旨によると、右各金員を弁護士費用を除いた原告の損害に充当したものと推認できるから、右損害から上記充当額を差し引くと残額は金一二八万五、〇〇六円となる。

(弁護士費用)

四 被告丞一が原告の被つた損害の任意支払に応じないため、原告がやむなく本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し原告主張の額の報酬の支払を約したことは弁論の全趣旨に照らし、明らかであるところ、本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害としては、本件訴訟の難易、認容額等にかんがみると、金一三万円が相当である。

(むすび)

五 以上の次第であるから、原告の被告両名に対する本訴請求は、被告丞一に対し、金一四一万五、〇〇六円及びこれに対する本件事故の日の後であり、本訴状送達の日の翌日後であること記録上明らかな昭和四八年九月一六日から完済に至るまで民法所定五分の割合による遅延損害金を求める限度で正当として認容すべきであるが、被告四郎に対する請求及び被告丞一に対するその余の請求は理由がないものとして、棄却するほかはない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九二条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから、付さないものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 武居二郎 島内乗統 有吉一郎)

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